離婚後の日記

離婚した。

セブ(モアルボアル)

離婚することにした。
だから数少ない独身の友人と連絡を取り合うようにもなり、旅行に行くことになったのだ。一人は旅行の企画者である独身貴族のダイビング狂いであり、もう一人は薄汚いオタクであったが彼はもうすぐ婚約するという。
結婚を諦めて趣味に走る者ともうすぐ結婚する者、そして離婚する私。彼等とは同じ学校で少なくない時間を共有し、ある程度価値観は一致している。
同じ時間や文化を共有したものの時を経て立場は変わり、誰かとくっついたり離れたり、幸せだったり不幸せだったり。人生色々である。
 
久しぶりの海外旅行の出国に手間取りつつもセブ・マクタン空港にやがて到着したが目的地はここではない。
ここから薄汚い東南アジアの街並みを眺めながら車で4時間かけては田舎町のモアルボアルへ我々は向かうのであった。
ダイビング男が言うには目的はイワシトルネードと呼ばれるなんとも馬鹿げた名前のいわゆるイワシの大群である。
 
まあ確かにすごかった。でもダイビングには夢中になれそうにない。自分が魚などに興味がないことがよくわかった。
浮遊する海の中、心穏やかでもこれから協議される適切な養育費の金額が頭から離れることはなかった。
 
とにかくまあ馬鹿だ糞だと罵倒しあえる友人という存在はいいものだ。我々の間では離婚なんて些末な話でしかない。
そしてセブ島への旅行は全くオススメできない。華やかなリゾート地としての知名度は虚像。インターネットの嘘に騙されるな。
帰りの空港でオカマにナンパされたのだけが特筆すべき思い出だ。なぜレディボーイはぱっと見きれいなのか。
 

 
離婚を経験して思うのは、家庭不和を冗談でも喋るのはよしたほうがいいということ。
くだらない自由のなかの楽しい海外旅行よりも、家族と過ごす退屈な時間の方が幸せなのは間違いない。
妻の陰口を叩く中年と結婚したがらない若者は同じレベルの愚か者だ。
男にとって損でしかないとしても、結婚と子育てはいいものだと思う。
 
息子らとの断絶は海外旅行などでは癒やされなかった。飲酒による現地逃避は続いている。

シン・仮面ライダー

最初の3分公開で見に行くことを決めた。

改造人間である気持ち悪さを強調してほしかったのだが最初だけだった。最初はすごく良かった。後は格好良くてニコニコしてしまう感じだった。決して悪くはない。本当に大人になって仮面ライダーを観た気分。

改造人間本郷猛より私はまだましだ。本郷猛は映画も見ないしサーフィンもしないだろう。大切な人に会えないのは一緒だけど私の息子は死んではいないし。仮面ライダーは孤独で悲しくていいのだ。

でも私が求めるのはCR仮面ライダーの演出感であり庵野でなくて京楽にリメイクしてほしかったのかもしれない。

面白かったけど、スラムダンクの前に観て良かったとは思う。今日は映画を二本観たのだ。子供がいないと暇すぎる。何もしないとつらすぎる。

浜辺美波は超かわいかった。画面が持つ。

 

 

THE FIRST SULM DUNK

アリウープからずっと泣く。両隣の女子に気を使って歯ぎしりしながら泣く。本当は嗚咽混じりで泣きたかった。30代男子はすべからく泣く。

スラムダンクの面白さに気付かされて井上雄彦はやっぱり天才だった。きっちり原作をなぞりながら別要素も絡めて最高の映画。俺の中の映画賞は総ナメ。人生36年の人生の重みが映画を面白くさせてるだけだが。宮本から君へと同じ現象。そりゃリメイクばかりになるわな。

 

詰むや詰まざるや 西武vsヤクルト

プロ野球には全く興味がない。スポーツ観戦自体が間の抜けた趣味だとすら思う。スポーツなんてものは見るのならばやるべきである。百歩譲って経験のある競技の観戦でなければならない。プロの高度な技術の良し悪しなど経験者ですら理解は困難だ。

 

但し、書籍は別である。通常では理解すらできなかったその技術その瞬間が言葉により表現されることで我々の心を打ち、その奥深さに感動できる。スポーツノンフィクションの面白さはここにある。スポーツ新聞の根源はここにある。

 

そうして私は野球の本を読む。「嫌われた監督」を読んで落合ファンになった。結果のみを追い求める清々しさとプロフェッショナルが故の寂しさ、そして時折出てくる信子夫人のすべてに魅了された。

「砂まみれの名将」を読んでノムさんファンになった。沙知代夫人の舌禍事件からシダックス監督となった野村監督の野球愛と、知将と呼ばれたその思考と人間らしさのすべてに魅了された。

 

 

この本は1992年から1993年にかけて戦った森・西武と野村・ヤクルトの日本シリーズの闘いの記録である。

ノムさんのボヤキに始まり、戦力の差、監督の思考、そしてそのワンプレー、ワンプレーが仔細に綴られ、選手がそれを振り返り言葉で彩る。実際にその試合を見ているかのように、いや見ている以上に野球を楽しむことができる。

きっと野球を知らなくてもあの飯田哲也バックホームが熱気を持って脳裏に浮かぶはずである。

 

 

 

日本橋丸善で購入。本屋は出会いがあっていいもんだ。

 

 

 

 

続かない勉強

自分を高めようとして勉強するのだけれど、やっぱり諦めてしまう。3日坊主とは言わない。でも1ヶ月坊主くらいにはなってしまう。

これまで続いた習慣を振り返って理由付を複数にするといいのではないかと思った。

ランニングのときはまずはダイエットの為、そう思えなくなったら大会、自己ベスト更新の為、またそう思えなくなったらゴルフの飛距離の為と自分を誤魔化し続けていたものだ。

じゃあ資格勉強はどうだろう。

将来の金や安定の為、脳の老化防止の為ぐらいか。勉強には大会が無い事も問題だ。自分の成長を感じられないのも違いがある。

それに運動は本質的に楽しいからできるのだ。勉強も楽しいと思わなければならない。自分の知的好奇心が満たされて幸せだと思わないといけない。

勉強がすごく楽しいと思い込もう。一日でもしないと気持ち悪いとでも言うように。そしてテストを楽しんでやればいい。

あと、人間追い込まれないとできないもんだ。自分の会社はいずれ潰れるのだと思い込もう。ネガティブな理屈も必要だ。

ゴルフとサーフィン

ゴルフとサーフィンにハマっているのだけれど両者でいつも思うのは晴天とはとても素晴らしいということだ。そして運動が全てを忘れさせてくれることだ。

鬱病患者は外に出ろというのはきっと正しい。それが私の実感である。

すべての私の趣味は何かを忘れる為にある。私は遊ぶのが得意だ。だからいつも日常を変える努力よりも日常を忘れる努力をしてしまう。

つまらない仕事と楽しい遊び。どちらかに重りを乗せて人生のバランスを取っているのだ。

楽しい仕事をするべきだったのだ。努力を怠ったツケは今ようやく喫緊の課題として持ち上がった。

子供無くして仕事のモチベーションなど作られるはずもない。独身で働き続けるなんてすごいよ。俺は誰かの為にしか働けない。

もう趣味の為に金を稼ぐマシーンでしかない。

久しぶりに毎日が休日であればいいと思うのです私は。

離婚した。子供のいない穴。

離婚した。厳密には離婚調停中である。

子供の親権はとられそうだ。無念。

子供がいなくなった生活の穴、心の穴は大きい。すごく大きい。

土日の時間のあまり具合がすさまじい。午前中にはやりたいことは終わっている。

最初はゲームなんかもしてた。なんだかんだ穴は埋まっていた。でもやっぱり飽きるものだ。

酒も飲んだ。毎日二日酔いで会社に遅刻しそうになったからやめた。アル中になる未来はすぐに見えた。

ジムにも通った。死にたくなったらジムが合言葉だ。足が生まれたての獣になるくらいスクワットすればたいていのことは忘れられる。

筋トレは宗教に近い。生活に密着した宗教だ。筋肉が神様で彼らの為にいろんな戒律がある。

早寝早起きしろ。揚げ物は食うな。タンパク質をとれ。とても健康的で素晴らしい戒律ばかりだ。生きることがとっても楽になる。

なんだか気分が晴れないな。→筋トレしよう

なんだか食欲もないな。→筋肉の為に食べよう。

酒でも飲むか。→筋肉の為にやめよう。早く寝よう。明日の朝はベンチプレスだ。

自炊もはじめて大量のサラダチキンを作るようになった。ゆで卵と納豆とサラダチキンとマルチビタミンが私を構成している。

 

いいこともあれば悪いこともある。なんだかんだ穴は埋めているのだが、夜見る夢は息子たちの夢なのだ。幸せな夢と現実のギャップはしんどいぜ。